神への祈りのための教会音楽において常に伴奏だった器楽は、17世紀に増大した専属の楽団や劇場を持つ宮廷の権力により中心的存在となってきました。

たとえばフリードリヒ大王の専属の楽師でフルートの師でもあったクヴァンツ(1697〜1773)は王が演奏するための曲をたくさん残していますが、「室内楽」とはこのように公式行事ではなく王自身の愉しみや客人のもてなしのために王の私室で演奏する音楽のことでした。

器楽曲の形式であるソナタも、当時は主に弦楽器が担う通奏低音という部分と旋律からなり、それを元に和声を即興的に付けるというスタイルでした。

18世紀後半になると貴族階級は経済的に衰退し、リストラにあった音楽家は公開演奏会などで報酬を得る生活を余儀無くされ、一般市民受けする音楽や、多くの聴衆を動員できる大編成の交響曲や協奏曲が作られます。

フルートもキーが増え音量の出る楽器へと移行していき、より表情豊かな曲が生まれます。

また鍵盤楽器の発達によってクラヴィーア(後のピアノ)がソナタ形式の主導権を握るようになり、19世紀ロマン派時代には情緒的で各楽器が旋律的な室内楽曲が生まれます。

現代のフルートのスタイルが出来上がった19世紀後半から20世紀にかけては、ロマン派に対する幻想的・主観的な世界への反発や、大戦のための社会情勢の混乱などの影響による価値観や美意識の変化が起こり、調性の崩壊や新古典主義への形式回帰といった、多様音楽へと移り変わっていくのです。

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